"自分を責めていると知らずのうちに人を責めている"でもそれは本当に愛のあるハグだけで溶ける"鎧"だった
昨日瞑想をしていてやっと腑に落ちたこと
大事だなぁと思ったので。
よく、『人を褒める』、『高く評価する』
って言われるけど、実際自分ではしているつもりでも腑に落ちていなくて。
何故かというと
『褒め方』が解らない
何故かというと
『褒められたことがない』
でも、褒められたことがよくよくよくよくよ~く考えるとないわけじゃない。
ただ「ダメだ」と言われた”感情の記憶”が強すぎて仮に『褒められた』としても、その言葉を信じられない。疑ってしまう。
結果、だれの言っていることも信じられない。
そうやって私は自分の深い深い殻に閉じこもり、孤独だった。
だから自分に似た人への気持ちは解っても、私はただ必死に"反骨心"で"見返してやる!"って想いで頑張ってきたから、承認することはできても褒め方がわからなかった。
でも、その人が"変われる"ってことだけは自分も変われたから知ってるし、信じてる。
でも『褒め方』は解らなかった
それは私が私のことを責め続けてたからだった
"だから私はダメなんだ"
"だから私は人とうまくできない"
"だから私は恋愛さえもできない"
″だから私は認めてもらえない″
"だから私は生きている価値もない″
だから私には
″泣く"
ことが必要だった
泣いて心を"緩ませて"自分が何におびえ、何に苦しみ、何がほしいのか知る時間が必要だった。
小さな小さな私は、
ぎゅっとはぐされ"大丈夫だよ”と言ってくれる人に愛される時間が必要だった
そうして初めて、私が自分を愛してあげられるようになった時と同じように
沢山の愛でぎゅっとはぐして"大丈夫"そう言ってあげられようになったのかもしれない。
人の評価の仕方も、人の評価もよくわからない
"褒め方"もよくわからない
でももしかしたら
愛をこめてぎゅっとはぐして”大丈夫”
そういうことが私のその人にできる最高の"褒め方”なのかもしれない
私はよく"人と違うからいい"って書いてるけど
皆、同じ”褒め方”も”愛し方”もない
違うから
いろんな”愛”を知れる
そんなことを今日瞑想を通して感じました。
今日は朝からいろんな人のブログに感銘
ガクトのこの記事は素敵だなと思いました^^
これはミュージシャンじゃなくても言える。
人を否定することは簡単
でも"違う"のは当たり前だとしたら?
またリーダーとして発言は違うのかもしれない
http://ameblo.jp/gackt/entry-12250894094.html
でもそれでももし否定しまう人は、自分が否定され続けてきたとしたら?
まずは自分がなぜ相手を否定しまうかを気づく時間が必要なのかもしれない
私はすごく時間がかかりましたが、やっとその理由が"腑に落ちた"のかもしれない
それはそこに何度も何度も丁寧に"自分を知る”ことを繰り返ししてきたから
私たちの心の中にはたくさん自分を責めてきた”過去の他人”や”身近の人”がいる
そして何かする前にその人たちが騒ぎ出す
だから自分を責めているように人を責めてしまう
だから心を真っさらに
ただただ”自分を愛してあげる”時間は
私たちが何かになりたいときに、ミュージシャンになりたいときに音楽の練習をするように
資格を取りたいときに勉強するように
会社で仕事を覚えるために勉強するように
もっと走れるようになるために走るためのトレーニングをするように
"自分を愛してあげる"時間も毎日、丁寧にしてあげること大事
私にとってそれが"瞑想"をする時間でした
"瞑想"
やることは簡単
宗教も派閥もない
ただ毎日"その時間"を作るということ
各地で講座を開催してます^^
是非体験しに来てください^^
http://ameblo.jp/haku-renmi/entry-12252448853.html
一昨日都内の用事がてら寄った靖国神社参拝
ぎりぎりだったけど参拝出来て太陽さんは今日も温ったかい愛で迎えてくださった
いつも一人じゃないよ
そう言ってくれてるような温かさに涙が溢れる
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