キリストは自分を神の子と呼んだ
昔は家に神棚があった
両親が実家を購入してから一度も手入れをしていない神棚を不思議に思い、中学生の時から誰に言われた訳でも無いけど、私が毎日お水とお米とお榊を交換し、お祈りしていた。
神棚の意味は全く解っていなかったけど、神様の存在は感じていて、我が家は無宗教でなんの知識もなかったけど私には神聖なものに感じていた
神棚を最終的にお焚き上げする時に中に入ってたお札が素晴らしく古いものとおみくじが入っていたのには唖然とした笑
私は父が亡くなる時に神に慈悲を頂いた
神頼みするのは久しぶり笑
昔はよく神社に行っても、神棚にも、常に神頼みばかりしてた笑
なんでって、なんでだろう?
自分が不幸だと思ってたんだよね
私は愛されていないと思っていた
こんなにも私の中にいる神様に愛されているのに
何よりもすぐそばにいる自分の内側を見ずに外ばかりに愛を求めていた
神様は私に愛することの尊さを教えてくれた
それは私が神様が全く見えておらず己の不幸ばかりに注力していたから
ありとあらゆる方法で愛の尊さを教えてくれた
とことん闇を味わうことで
自分への深遠なる愛
自分の中にいる神への愛
キリストは決して自分だけが神の子とは言っていない
ただキリストは知っていた
自分の中にいる神に
神によって作られた自分という存在を神の子と呼ぶのはなんら不思議なことではない
ただ私達は、自分が神の子なんてありえないと思っているだけ
事実や解釈や理屈や屁理屈笑や科学上とかは私にはどうでもいい
真実は私達がこうやって肉体を持って生まれてくる前は、遡ると抽象的な存在だったと言うこと
今目の前にあるものは全て抽象的な存在であったと言うこと
なのに人は、目に見えるものしか信用しない
証明しろ
根拠は?
などと理屈をこねる
目の前にあるコップは最初からそこにはなかった
誰かが液体を手ではない何かに収め飲みたいと思ったから、その想いから作られてきた
最初に人の想いがある
それは抽象的なもの
証明しろとはコップを証明しろと言っているのと一緒
そこに在るのに
在る
という現実を直視出来ない自分がいるだけ
この想いが愛溢れる感情ならば、愛ある商品ができる
この想いがただの利益だけに注力した商品ならばそういうものができる
全ては想いの種から
神が私達を作りたいと望んでくれた
こんなにも愛に溢れる神をないがしろにする理由があるだろうか
そこに居る
それだけでも感じて
いつも私の中に
いつもあなたの中に
今日も有難うございます。
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