ふと思った
私が自分を愛せなかった時は、誰からも愛されないと思ってた
私を愛してくれた人にさえ、いつか離れていくことを恐れ、信用できず背を向けていた
でもそれは
相手に対してではなくて自分に対していつも背を向けていた
出来ない自分を認めたら母の言う、本当に出来ない子であることを認める事になり、自分には価値のない人間だと思うと生きていけなくなると思っていたから
でも
自分を愛するとは
できていない自分も理解したうえでまるごと自分を愛してる
あなたをありのまままるごと愛してる
それと一緒なんだ
今私には愛する仲間や応援したいと思う大切な人が沢山いる
今まではそんな事思う余裕さえなかった
自分の好きな人が喜んでくれる事さえ出来ればいいと思ってた
ただ自分を守るのに精一杯だった
でも自分を愛するようになったら、自分を守る事よりも愛する人の為にその人の目指すものをやり遂げようと必死になった
そうすることで自分の心が躍り、愛に溢れているの感じた
私は本音を話せる人としか一緒に居ないけど、最近初めて話す人や見た事あるけど少ししか話さない人、色んな人と会うこと、話す事で色んな事や色んな愛が見えてきた
そして思うのは、今自分が相手をクリーンな状態で見れるからそこにいる人のいいところも悪いところもまるごと愛だなと思う
自分もいろんな壁を作って他人と境界線を張り、生きてきた
でも自分と同じように神に作られた人で、この人はこの人の人生を、自分が沢山苦しんだようにこの人の人生にも同じように闇があったからこそ今の光が見えたり、何かがあったからこそ、虚勢をはって悪い口を聞いたりする
それには色んなドラマがあるんだろうなぁって思うと一人一人が愛おしく思える
そんなことを感じる食事の時間をここ何日かいろんな人と過ごして感じた事
別に全員を愛さなくたっていいと思う
ただ自分はどんなフィルターで相手を見ているか
まっさらなフィルターで見ているのか?
自分のルールの境界線を引いたフィルターで見ているのか
私は、自分の愛する人に対して盲目だったかなと思い、一度クリーンな
目で見るために距離を置いてみた
距離を置いて思ったのは
やっぱり
あなたを愛してる
無我夢中の姿も
何かを見据えてる姿も
子供のようなやんちゃな姿も
厳しい姿も
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