幸せで在りたいのに怒ってしまう理由とちょっとした向き
幸せで在りたいのに怒ってしまう理由とちょっとした向き
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おそらく
みんな幸せで在りたいのではないかと思う
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その為に欲しいものを得る為に頑張ったり
転んだりする
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ヨーガで言う
"至福の追求"
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でも怒って
怒ったあまり疲弊したり
落胆したりする
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怒りの主な原因は
心理学的には
"自分の大切にしている『それ』を蔑ろにされたように感じた時"や
"自分"の意見を大事にされていないと感じた時や
相手の怒りの波長に乗ってしまった時
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でも私達は本当はいつもブッタのように
口元には優しい慈愛に満ちた微笑みで
何事にも動じず
"幸せで在りたい"
そう思う
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怒ることもしたくない
でも怒ってしまうのは
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ブッタと私達の違いは
知りうる"怒り"の叡智の差
知りうる"至福"の叡智の差
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私達は
怒りや
物事が
自分の表面からにて
"正しい"か"正しくない"
"大事にされている"か"大事にされていない"か
一方面からの角度だけで決め
それが
幸せか
"納得のいかない言動"なのかを判断する
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ブッタは
100人居たら100通りの"正しさ"という行為があることを知っている
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私達は
ブッタのように
穏やかには居られないw
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でも
ブッタのような
"至福の叡智"を得たいと思う
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だから今目の間に起きる
"やんなごとき怒りの出来事"は
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目の前の人の至福
と
自分の至福の違い
を
知るための叡智なだけなのである
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それは私達が幸せをのぞめばいつも起こる
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だってそれは
相手を憎むためじゃないの
あなたが沢山の"幸せ"という叡智を知るために起きた出来事だから
沢山の幸せを望めば望むほど色んな幸せに出逢える
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そんな素敵な"幸せで在りたいのに怒ってしまう理由"
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じゃあどうやったら怒りの方向ではなく
Happyのベクトルに向けられるのか
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先ず
"怒る出来事"が怒ったとき
一旦
ゆっくり
ゆっくり
息を吐いてあげよう
そしてゆっくり息を深〜く深〜く吸って
もう一度ゆっくりゆっくり吐いてあげて
呼吸に意識していく
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そうして
大切にしたかった自分の大切な気持ちを優しく
"ぎゅーっと"抱きしめてあげる
落ち着いたら
目の前の怒りの対象であったw
相手の想いも
同じように
"ぎゅーっ"と抱きしめてあげよう
もし
やだ!
きたない!
w
と思ったら
"生きてていい"くらいのレベルまで許してあげてw
"生きてていい"ってことにしてあげよう
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アシュタンガヨーガでも言われて居ますが
本当のサットバは"無"になる事ではなく、何が起きても
どんなに周りがざわざわして居ても
"何事も問題ない"
"全ては時の流れと同じ"
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私達人間は喜怒哀楽という素晴らしい感情が在ります。
だから怒る事で
もっと自分の求める幸せを感じに
探しに
トライアンドエラーをしているだけ
.私達が赤ちゃんの時
"立てなくても"大泣きで泣いて
"立つことを諦める人"なんか居なかった
だから私達は
今二本足で立ってる
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だから大丈夫
いま怒りが治んなくても
その怒り矛先が
"相手が悪い”となってもいい
赤ちゃんのときみたいに
絶対立てるから
赤ちゃんのときみたいにころびながらも立ってる大人で
"幸せ"をちゃんと見据えて
生きたら
今日という怒りは感動的な立ち上がりの瞬間かもしれない
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#怒り#怒りは幸せ
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